ひとりごと。

旅行のプロ見習い中。街歩きが苦手で、寺社仏閣、美術館、博物館に興味がないので、困ってます。気になったことには、片っ端から手を付けるタイプ。ひとりごとと、好きなもののレポートを書きます。

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今年もノリで墓参りしてきた

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祖父が亡くなったときに、母がピンク色の正方形の石碑に「永遠に」と書いたお墓を建てた。この時点でノリでしかない。田舎の墓地で、かなり浮いている。毎年お盆には「お墓参り」に行くけれど、わたしにとって、お墓は石でしかない。祖母が石の掃除をしてお花を飾るのを見届けるくらいで、わたしは手を合わせたりはしない。誰のためでもない。誘われたから行く。ノリでしかない。こんな山の中に建ててどうするの、と思う。祖母も亡くなったら移動するつもりなんだろうか。周りの黒い普通のお墓を見ながら、このお墓の家族は近くに住んでるのかしらと思う。黒は光を集めるから、熱そうだな、とも思う。

亡くなったおじいちゃんが大好きだった。ファンキーだったおじいちゃんの話はまた今度にでも。でも、それと、お墓におじいちゃんの霊を感じるかどうかは別の話。お墓にはいないと思う。眠ってなんかいません。どちらかと言うと、千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています。

人は死んだらどうなるのか。中学生のとき、総合学習の時間に「よりよく生きる」というテーマで調べなさいという課題があった。卒業論文に繋がる一大プロジェクトだった。みんなそれぞれ興味がある分野や、将来就きたい職業に絡めて、レポートを進める中、「死」について追究していたクラスメートがいた。「死」を避けて「生」には向き合えない。彼は確か東大に行った。

人は死んだらどうなるのか。どうなるんでしょう。わたしは死んだら、霊が身体を置いて、天に昇ると思う。死後の世界の話はすごく宗教的で文化的で、奥が深いね。

死生観は置いておいて、祖母の家には神棚も仏壇もある。「おばあちゃんちあるある」だと思う。大学で世界宗教を専攻してたとき、日本人のほとんどが自らを特定の宗教の信者として認識していないことについて研究した。クラスメートの9割以上は本人あるいは家族がクリスチャンだったから、すごく不思議がられた。祖母はその典型的な「日本人」で、慣習として宗教的行事をこなしている。

死んだらどうなるか、よりも、死んだらどうしてほしいか、だと思う。この前見た「君の膵臓をたべたい」みたいに、人間いつ何で死ぬかわからないから、「自分が死んだらこうしてほしい」っていうのは遺書にでも明確に書いて、お願いしておこうと思うの。わたしが死んだら、わたしの身体の使える部分は使ってもらって、残った部分を焼いて灰にして、太平洋にまいてほしい。いつかアメリカに着くかもしれないから太平洋側でお願いします。日本海側だとパスポートなしで北朝鮮に行けるかも?お葬式はしなくていいし、お墓やお仏壇はもちろんいらないです。遺影もそれを入れる写真立ても、自分で選んでおくよ。もし近日中に死んだら、卒業式の袴の写真使ってね。盛れてるから。命日は悲しいから、誕生日を覚えて祝ってもらえたら嬉しい。

1年に1回ぐらい、死ぬときのこと考えてもいいかなって思った、お盆でした。桃とぶどう、岡山帰省あるある。